2011年01月23日
ロートルコーチのメンテナンス
仕事なので毎日のようにテニスしているのですが、日によって調子が良いと感じるときとそうでないときがあるものです。
それがどういう理由で調子が良かったり悪かったりするのかまったくわからないのですが、確かに「今日はなんだか良い感じで打てているな」とか逆に「あれ、何か変だ真ん中にボールが当たっていないぞ」なんて言う具合に思うのです。
それで今日はどうだったかと言うと、比較的に「なかなか当たりがよくて安定している」と思える日でした。
ひとつ考えられるのは、年甲斐もなくかなり小さめのフェースサイズのラケットを使っているのでやはり練習していないとダメなのではということです。
練習しないと調子が悪くて当たり前ですが、もしももう少し大きなサイズのラケットを使っているとしたらあまり練習の多寡に関わらずそれほど「調子が悪いな」とは感じないと思います。
事実もっと大きなサイズで軽いモデルのラケットを使っている頃は毎日レッスンでボールを打っている限りは別に調子が良いとか悪いとかを気にすることはなかったと記憶しています。
だから、そういう風に感じるようになったのはラケットがちょっとばかり扱いが難しいものになったからなのかも知れません。
それか肉体的な、特に視力の衰えが日によってひどかったり軽かったりすることが影響しているとも考えられます。
いままであまり細かい事など一切なにも気を使わずにここまでやってきましたが、そろそろ自分の身体を労ることを考えるべき時なのかも知れないです。
まずあまり肉体を酷使しないこと、テニスのあとはストレッチして身体のメンテナンスすること、夜おそくまで眼に負担がかかることを避ける、そういうことに注意して日々の体調がいつも良好でいられるように努めるべきかなと今さらながら思います。
「道具でも機械でも、そして人間も古くなってきたらそれだけ念入りに手入れをしてやらないと使えなくなるんだ」と、昔ずっと年上だった先輩のベテランコーチが仰っていた言葉が今この身にずしりと響く気がします
それがどういう理由で調子が良かったり悪かったりするのかまったくわからないのですが、確かに「今日はなんだか良い感じで打てているな」とか逆に「あれ、何か変だ真ん中にボールが当たっていないぞ」なんて言う具合に思うのです。
それで今日はどうだったかと言うと、比較的に「なかなか当たりがよくて安定している」と思える日でした。
ひとつ考えられるのは、年甲斐もなくかなり小さめのフェースサイズのラケットを使っているのでやはり練習していないとダメなのではということです。
練習しないと調子が悪くて当たり前ですが、もしももう少し大きなサイズのラケットを使っているとしたらあまり練習の多寡に関わらずそれほど「調子が悪いな」とは感じないと思います。
事実もっと大きなサイズで軽いモデルのラケットを使っている頃は毎日レッスンでボールを打っている限りは別に調子が良いとか悪いとかを気にすることはなかったと記憶しています。
だから、そういう風に感じるようになったのはラケットがちょっとばかり扱いが難しいものになったからなのかも知れません。
それか肉体的な、特に視力の衰えが日によってひどかったり軽かったりすることが影響しているとも考えられます。
いままであまり細かい事など一切なにも気を使わずにここまでやってきましたが、そろそろ自分の身体を労ることを考えるべき時なのかも知れないです。
まずあまり肉体を酷使しないこと、テニスのあとはストレッチして身体のメンテナンスすること、夜おそくまで眼に負担がかかることを避ける、そういうことに注意して日々の体調がいつも良好でいられるように努めるべきかなと今さらながら思います。
「道具でも機械でも、そして人間も古くなってきたらそれだけ念入りに手入れをしてやらないと使えなくなるんだ」と、昔ずっと年上だった先輩のベテランコーチが仰っていた言葉が今この身にずしりと響く気がします
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