2008年07月15日
究極のフォアハンドストロークを追い求めて
この前もフォアハンドストロークについて、こんなに長くテニスしてしかもテニスコーチをしている身でありながら未だに悩んでいることを書きました。
そういうときはフォアハンドストロークがすごくいい感じ、調子が良いと思った直後に訪れる事が多いのでした。
なんでなのか良くわかりませんが、もしかしたらもっと良くなるはずだという飽くなき野望というか欲望というか、そんなものが根底に有るような気がします。
バックハンドとかサービスだと、もうこれ以上は難しいし十分だなという何か納得して打っているのにフォアは常に「いやいやこれは違うぞ、もっとスピード出せるはずだ」とか「もっと厚い当たりの手応えを得られるはず」などと思いながら打っているのです。
何かしっくりこないというか、うまくコーディネーションできていない感じがして不満に思うんです。
バックハンドに対しては「よしよし非力なくせによく頑張っているじゃないか、偉いぞ」って言う気持ちで、「出来の悪い息子ほどかわいい」みたいな扱いなんですが。
それがフォアハンドだと「バカ野郎、お前の力はこんなものじゃないはずだ、もっともっと速くて威力のあるボールが打てるのに適当に打つな!」っていう、才能を信じているからこそついつい厳しく接する星一徹みたいな感じでしょうか?
ほんとにそんな才能があるのかどうか、まったくの勘違いかも知れないのですが本人は信じているわけです。
しかし、この勘違いかもしれない思いこみこそが今もってテニスに打ち込む大きな原動力というかモチベーションになっているのだと思います。
ほんとに自分で納得できるフォアハンドストロークがいつになったら打てるのか、「これだこれこそ僕が求めていた究極のフォアハンドストロークだ!」と思える日がいつか来ると信じて、今日も僕は僕自身のテニスコーチとしてコートに立っています。
そういうときはフォアハンドストロークがすごくいい感じ、調子が良いと思った直後に訪れる事が多いのでした。
なんでなのか良くわかりませんが、もしかしたらもっと良くなるはずだという飽くなき野望というか欲望というか、そんなものが根底に有るような気がします。
バックハンドとかサービスだと、もうこれ以上は難しいし十分だなという何か納得して打っているのにフォアは常に「いやいやこれは違うぞ、もっとスピード出せるはずだ」とか「もっと厚い当たりの手応えを得られるはず」などと思いながら打っているのです。
何かしっくりこないというか、うまくコーディネーションできていない感じがして不満に思うんです。
バックハンドに対しては「よしよし非力なくせによく頑張っているじゃないか、偉いぞ」って言う気持ちで、「出来の悪い息子ほどかわいい」みたいな扱いなんですが。
それがフォアハンドだと「バカ野郎、お前の力はこんなものじゃないはずだ、もっともっと速くて威力のあるボールが打てるのに適当に打つな!」っていう、才能を信じているからこそついつい厳しく接する星一徹みたいな感じでしょうか?
ほんとにそんな才能があるのかどうか、まったくの勘違いかも知れないのですが本人は信じているわけです。
しかし、この勘違いかもしれない思いこみこそが今もってテニスに打ち込む大きな原動力というかモチベーションになっているのだと思います。
ほんとに自分で納得できるフォアハンドストロークがいつになったら打てるのか、「これだこれこそ僕が求めていた究極のフォアハンドストロークだ!」と思える日がいつか来ると信じて、今日も僕は僕自身のテニスコーチとしてコートに立っています。
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