2011年03月25日
アレルギー藥の思い出
実は今年の花粉症があまりにもひどくて耐えられない、というか仕事に支障をきたす状態に陥ってしまいやむを得ず27年ぶりくらいで薬を服用することにしました。
なぜ今まで頑張って薬を飲まずにきたかというと、薬を飲んでしまうとまず一日中ずっと眠りっぱなしになるからでした。
そうでなくとも昼間から店にいるとグーグー寝ているのに、抗ヒスタミン薬だか抗アレルギー藥と言われるものを飲むともうほとんど廃人?になってしまうのです。
実際に27年前にあまりにも辛かったので薬を買って飲んだところ、もうこのまま一生涯のあいだ眠り続けるのではないかというほどひどい有様でした。
そのときは今のワイフと伊豆へ車で旅行したのですが、途中でクシャミが止まらなくなったり鼻水が止めどなく流れ出て運転がままならなくなりました。
それが花粉症の始まりだったのですが、当時はまだ杉の花粉による国民的?なアレルギー疾患だとは知られていませんでした。
伊豆に入ってからどこかのドラッグストアで症状を言うと、それはアレルギー性鼻炎だからこの薬が良いですと渡されたものを買ってすぐに飲みました。
そして熱川というところのペンションに泊まってテニスをしに行く予定だったのですが、宿に到着する少し前から猛烈な眠気に襲われていた僕は少し眠ってからいこうと当時はまだガールフレンドだった妻に言いました。
ほんの30分も眠ればすっきりして元気になるだろうと思っていたらとんでもありませんでした。
彼女に揺り動かされて気づくともう夕食の時間で辺りは真っ暗でテニスなんかとても出来ませんでした。
たぶん4時間近く眠ったのですがまだ眠くて夕食もいらない気分でしたが無理して起きてペンション特製のブイヤベース鍋とか言うのを夢うつつで食べた記憶はあります。
そして食べ終わるとすぐにまた部屋に戻って爆睡してしまい、次に眼が覚めると明け方の5時頃でした。
ようやく眠気は治まってすっきりした気分でしたが、しばらくするとまたしてもクシャミと鼻水がひどくなってきたので薬をまた飲んでしまいました。
その所為で次の日も朝食のあとにペンションを出てテニスコートに向かいましたが、着く頃にはまたしても睡魔に襲いかかられてコートの横の駐車場で寝る羽目になりテニスしたのは無理して起きて少しだけラリーしたほんの10分くらいでした
そして帰りの箱根の峠道ではなんと3月だと言うのに大雪が降っていましたが、眠くて迂回路をいく余裕がない僕はそのままチェーンもなしで雪の箱根ターンパイクを走り抜けることにしました。
でも薬による眠さで意識朦朧としていたので下り坂で前から走って来た車を過剰に意識して急ブレーキを踏みスリップしてその車と衝突してしまいました
怪我もまったくなく車もどうにか家まで乗って帰ることができましたが、大きく潰れた愛車のフロントを見たときはショックでした。
それからと言うものは二度と抗ヒスタミン薬もアレルギー藥も一切のまないようになったのでした。
「飲んだらあのときみたいに悲惨な目にあう」と思い続けて来たからなのですが、どうも最近まわりにいる花粉症の人達によると最近の薬はあまり眠くならないようになっているから大丈夫というのです。
それで自分でもドラッグストアに言って調べてみると、確かに今のものは昔に較べたら格段に眠くなりにくいようでした。
それならば一度ためしてみるかと今年は飲んでみたのですが、ほんとにあの頃のものに較べたらずっと良くなっていました。
これがずっとこのまま効いてくれるとほんとに助かるのですが、この前も鼻に塗るイオンコートが最初は劇的に効いていたのに途中でまったく役に立たなくなるという残念なことになったのでどうかなと思っています。
でもこの効き目ならば東京オープンに向けて思い切り練習していけそうな感じです。
考えてみとるいつも東京オープン前にあまり練習できなくなるのは花粉症がひどくなるからというのも大きな理由でした。
今年は薬を飲んでちょっと気合いを入れて練習して頑張りたいと思います!
なぜ今まで頑張って薬を飲まずにきたかというと、薬を飲んでしまうとまず一日中ずっと眠りっぱなしになるからでした。
そうでなくとも昼間から店にいるとグーグー寝ているのに、抗ヒスタミン薬だか抗アレルギー藥と言われるものを飲むともうほとんど廃人?になってしまうのです。
実際に27年前にあまりにも辛かったので薬を買って飲んだところ、もうこのまま一生涯のあいだ眠り続けるのではないかというほどひどい有様でした。
そのときは今のワイフと伊豆へ車で旅行したのですが、途中でクシャミが止まらなくなったり鼻水が止めどなく流れ出て運転がままならなくなりました。
それが花粉症の始まりだったのですが、当時はまだ杉の花粉による国民的?なアレルギー疾患だとは知られていませんでした。
伊豆に入ってからどこかのドラッグストアで症状を言うと、それはアレルギー性鼻炎だからこの薬が良いですと渡されたものを買ってすぐに飲みました。
そして熱川というところのペンションに泊まってテニスをしに行く予定だったのですが、宿に到着する少し前から猛烈な眠気に襲われていた僕は少し眠ってからいこうと当時はまだガールフレンドだった妻に言いました。
ほんの30分も眠ればすっきりして元気になるだろうと思っていたらとんでもありませんでした。
彼女に揺り動かされて気づくともう夕食の時間で辺りは真っ暗でテニスなんかとても出来ませんでした。
たぶん4時間近く眠ったのですがまだ眠くて夕食もいらない気分でしたが無理して起きてペンション特製のブイヤベース鍋とか言うのを夢うつつで食べた記憶はあります。
そして食べ終わるとすぐにまた部屋に戻って爆睡してしまい、次に眼が覚めると明け方の5時頃でした。
ようやく眠気は治まってすっきりした気分でしたが、しばらくするとまたしてもクシャミと鼻水がひどくなってきたので薬をまた飲んでしまいました。
その所為で次の日も朝食のあとにペンションを出てテニスコートに向かいましたが、着く頃にはまたしても睡魔に襲いかかられてコートの横の駐車場で寝る羽目になりテニスしたのは無理して起きて少しだけラリーしたほんの10分くらいでした
そして帰りの箱根の峠道ではなんと3月だと言うのに大雪が降っていましたが、眠くて迂回路をいく余裕がない僕はそのままチェーンもなしで雪の箱根ターンパイクを走り抜けることにしました。
でも薬による眠さで意識朦朧としていたので下り坂で前から走って来た車を過剰に意識して急ブレーキを踏みスリップしてその車と衝突してしまいました
怪我もまったくなく車もどうにか家まで乗って帰ることができましたが、大きく潰れた愛車のフロントを見たときはショックでした。
それからと言うものは二度と抗ヒスタミン薬もアレルギー藥も一切のまないようになったのでした。
「飲んだらあのときみたいに悲惨な目にあう」と思い続けて来たからなのですが、どうも最近まわりにいる花粉症の人達によると最近の薬はあまり眠くならないようになっているから大丈夫というのです。
それで自分でもドラッグストアに言って調べてみると、確かに今のものは昔に較べたら格段に眠くなりにくいようでした。
それならば一度ためしてみるかと今年は飲んでみたのですが、ほんとにあの頃のものに較べたらずっと良くなっていました。
これがずっとこのまま効いてくれるとほんとに助かるのですが、この前も鼻に塗るイオンコートが最初は劇的に効いていたのに途中でまったく役に立たなくなるという残念なことになったのでどうかなと思っています。
でもこの効き目ならば東京オープンに向けて思い切り練習していけそうな感じです。
考えてみとるいつも東京オープン前にあまり練習できなくなるのは花粉症がひどくなるからというのも大きな理由でした。
今年は薬を飲んでちょっと気合いを入れて練習して頑張りたいと思います!
2011年03月25日
まだ不安が残る原発事故
今日でもう2週間が過ぎたというのに相変わらず原発事故は収束しそうにありません。
外部電源が復旧したことで冷却システムが再稼働して一気に全原子炉の低温停止状態を迎えられるのかと思ったらどうやら事はそう単純ではないようです。
肝心の冷却系統のポンプだの配管だのが壊れていて使えないものもあったり点検しなくてはいけない、でもその作業中に今日のような被曝事故が発生してなかなか進捗していかない。
でもその間に少しずつ放射性物質が洩れ出してどんどん周辺環境が汚染されていく。
とにかくもう原子炉全体を外からコンクリートか鋼鉄板を使って今すぐに遮蔽してもらいたいです。
いまさら言っても始まらないですが、原子力発電所自体をもっと厳重に幾重もの構造物で蔽われた造りにしておくべきですよね。
今回は津波という大量の海水が押し寄せる力でこんなに破壊されてしまったわけですが、海水で壊れるくらいではもしもテロ攻撃を受けて空から爆撃されたりもしくは航空機そのものでつっこまれでもしたら全く収束できない核分裂事故になりかねません。
巨大な航空機が体当たりしてきても原子炉そのものが損傷を受けないくらいの堅牢かつ密閉度の高い構造物であるべきです。
原子炉があんな野ざらしになっているなんて今まで知りませんでした、もう少し頑丈なものの中に収められていると思っていたので驚きです。
他の所の原発もあんなものだとしたら・・・恐ろしいですね。
ぜひともタケノコ並のあつい幾重ものガードに蔽われた施設に改築してもらいたいです、それが出来ないならばもうすべて廃炉にしないとこれからは安心して日本に住んでいられません。
あっまたしてもテニスのブログなのに関係ないことばかり書いてしまいましたね、でもほんとに一日でも早く福島原発の事故が収束してくれることを心から願いたい気持ちなのです
外部電源が復旧したことで冷却システムが再稼働して一気に全原子炉の低温停止状態を迎えられるのかと思ったらどうやら事はそう単純ではないようです。
肝心の冷却系統のポンプだの配管だのが壊れていて使えないものもあったり点検しなくてはいけない、でもその作業中に今日のような被曝事故が発生してなかなか進捗していかない。
でもその間に少しずつ放射性物質が洩れ出してどんどん周辺環境が汚染されていく。
とにかくもう原子炉全体を外からコンクリートか鋼鉄板を使って今すぐに遮蔽してもらいたいです。
いまさら言っても始まらないですが、原子力発電所自体をもっと厳重に幾重もの構造物で蔽われた造りにしておくべきですよね。
今回は津波という大量の海水が押し寄せる力でこんなに破壊されてしまったわけですが、海水で壊れるくらいではもしもテロ攻撃を受けて空から爆撃されたりもしくは航空機そのものでつっこまれでもしたら全く収束できない核分裂事故になりかねません。
巨大な航空機が体当たりしてきても原子炉そのものが損傷を受けないくらいの堅牢かつ密閉度の高い構造物であるべきです。
原子炉があんな野ざらしになっているなんて今まで知りませんでした、もう少し頑丈なものの中に収められていると思っていたので驚きです。
他の所の原発もあんなものだとしたら・・・恐ろしいですね。
ぜひともタケノコ並のあつい幾重ものガードに蔽われた施設に改築してもらいたいです、それが出来ないならばもうすべて廃炉にしないとこれからは安心して日本に住んでいられません。
あっまたしてもテニスのブログなのに関係ないことばかり書いてしまいましたね、でもほんとに一日でも早く福島原発の事故が収束してくれることを心から願いたい気持ちなのです