2011年12月15日
聖夜のテニス
クリスマスイブに何をして過ごすのか?
これは気にする人にとっては重大事項です。
若い人たちの間ではイブを恋人と迎えられないのはとても恥ずかしいことで、それを他人にあからさまに伝えてしまうようなことは絶対に避けたいと思うようです。
そのあおりで最近はイブの日のテニススクールでのナイターレッスンに意地でも欠席してしまうようなことがあるらしいです。
若い恋人たちがロマンチックに過ごす聖夜にいつものようにテニススクールにやってきて汗まみれになってテニスするなんてNGだということなのでしょうね。
まぁ、その気持ちがわからないでもありませんが聖なる夜にテニスをしていてもそんなに惨めな姿ではないと思うのですが・・・
あまりそういう風潮が広まってしまうのはどうかな、でも恋人がいないのは恥ずかしいことだと考える人が多いということは悪くはないかも知れないですね。
そうやってクリスマスイブに淋しい思いをした若い人々が、やはり彼氏や彼女、そして将来の伴侶を得るべきだと気づくことに繋がるからです。
しかし、僕の周りには「もう生涯の伴侶はとっくにいるよ、それはテニスに決まっているでしょ」とうそぶくテニス男が何人かいます。
だから彼らは「クリスマスイブナイター男子トーナメント」なんてあったりしたら喜んで参加するでしょう。
どこかのテニスコートに男ばかりが集まって汗まみれで試合を戦うクリスマスイブなんてやはりちょっと寂しいかな?
そしてそのトーナメントのあとの晩餐が一人で食べる○野屋の牛丼とか言ったら、なんだか書いている僕の背中を冷たいすきま風
が通り過ぎていく気がしちゃいます
2011年12月15日
未来のテニスは自分との戦い
自分のサービスと言うものは絶対に自分で受ける事ができないので、いったいどのくらいの速さなのか曲がっているのかなんてことはよくわかりません。
それは何もサービスに限ったことではありませんが、すべてのショットのなかでいちばんサーブがどんな感じなのか自分で受けてみたいという気がします。
相手によっては「ものすごい速いですよ」とか「すごく曲がりますね」なんて言ってくれることがあり、それを聞くとますます(えー、どのくらい速いんだ、どれくらい曲がるんだろ)ってすごく気になります。
打ったこちらから見るのと実際にレシーブ側に立って見るのではだいぶ違うので、そんな風に言われてもあまり実感がわきません。
ただ以前もっと油の乗っていたというか元気にサービスが打てた頃には実は自分で見て、我ながら(おー、今のはスピードがかなり出ていたな)とか(よーし、横に跳ねてキックしている)なんて一人で悦に入っていたりしたことがありました。
ということは要するに今のサービスはもはやその頃に較べたらかなり劣っているのだけど、それを自分では認めたくないという深層心理が働いて(自分のサービスがよくわからない)と思うようになったのかも知れません。
しかし、どうにかして自分のサービスを受けてみることが出来ないかなと考えてみるとクローンを作ってそのもう一人の自分にテニスさせてその相手をしてみればサービス以外のすべてのショットを受けることが出来ます。
でも同一の遺伝子をもつクローンと言えどもまったくおなじテニスのプレーが出来るとは限りませんね。
それとも僕自身がもう一人の僕のコーチになってテニスを教えたらまったく同じボールを打つようになるのか?
一卵性の双子はクローンと同一だそうですが、同時にテニスを同環境下で練習するとほぼ同じレベルでそっくりなプレーをするようです。
でも異質な環境や時期、それに教わる相手が違ったらどうなのか?
おそらく多少は似たところがあるでしょうが、まったく同じボールを打つということはないのではという気がしますね。
だとしたらクローンが出来たとしても同じサービスを打てるようにはならないかも。
あー何とかして自分のサービスを受けてみたいですが、あと考えられるのはサービスを打った直後にレシーブサイドにワープする!
相対性理論が覆されるかも知れない世の中ですから、そんな荒唐無稽な話が現実になる日が訪れてもおかしくないのでは。
自分ひとりでコートのこちらとあちらをワープしてテニスをする
!
未来のテニスは相手がいなくても一人でプレーできるようになるのか?
いや、あまりにもそれは淋しい、っていうか忙しないですよね
それは何もサービスに限ったことではありませんが、すべてのショットのなかでいちばんサーブがどんな感じなのか自分で受けてみたいという気がします。
相手によっては「ものすごい速いですよ」とか「すごく曲がりますね」なんて言ってくれることがあり、それを聞くとますます(えー、どのくらい速いんだ、どれくらい曲がるんだろ)ってすごく気になります。
打ったこちらから見るのと実際にレシーブ側に立って見るのではだいぶ違うので、そんな風に言われてもあまり実感がわきません。
ただ以前もっと油の乗っていたというか元気にサービスが打てた頃には実は自分で見て、我ながら(おー、今のはスピードがかなり出ていたな)とか(よーし、横に跳ねてキックしている)なんて一人で悦に入っていたりしたことがありました。
ということは要するに今のサービスはもはやその頃に較べたらかなり劣っているのだけど、それを自分では認めたくないという深層心理が働いて(自分のサービスがよくわからない)と思うようになったのかも知れません。
しかし、どうにかして自分のサービスを受けてみることが出来ないかなと考えてみるとクローンを作ってそのもう一人の自分にテニスさせてその相手をしてみればサービス以外のすべてのショットを受けることが出来ます。
でも同一の遺伝子をもつクローンと言えどもまったくおなじテニスのプレーが出来るとは限りませんね。
それとも僕自身がもう一人の僕のコーチになってテニスを教えたらまったく同じボールを打つようになるのか?
一卵性の双子はクローンと同一だそうですが、同時にテニスを同環境下で練習するとほぼ同じレベルでそっくりなプレーをするようです。
でも異質な環境や時期、それに教わる相手が違ったらどうなのか?
おそらく多少は似たところがあるでしょうが、まったく同じボールを打つということはないのではという気がしますね。
だとしたらクローンが出来たとしても同じサービスを打てるようにはならないかも。
あー何とかして自分のサービスを受けてみたいですが、あと考えられるのはサービスを打った直後にレシーブサイドにワープする!
相対性理論が覆されるかも知れない世の中ですから、そんな荒唐無稽な話が現実になる日が訪れてもおかしくないのでは。
自分ひとりでコートのこちらとあちらをワープしてテニスをする
!
未来のテニスは相手がいなくても一人でプレーできるようになるのか?
いや、あまりにもそれは淋しい、っていうか忙しないですよね