2010年06月06日
孫とテニスどちらを選ぶ
地上からほんの数十メートルくらい高いだけなのに、それだけ太陽に近づいているので暑さが増してしまうのでしょうか。
今日はそんなことを考えてしまうような屋上コートでの暑いレッスンでした。
この暑くなり始めた時がけっこう身体にとってきついもので、特に今日みたいに突然に赤道直下の国(ちょっと大袈裟?)へ来てしまったかのごとく暑いと軽い頭痛を感じてしまいます。
「今からこんな酷暑で真夏になったら一体どうなって仕舞うんだろ?」ってたぶん毎年のように思っていますが、徐々に身体が馴れていって本格的な夏頃にはすっかり暑さへの耐性が整ってどうということはなくなるはず。
しかし、果たして今年もそんな風に真夏までに熱帯育ちの熱血テニスコーチになれるかどうか一抹の不安を感じるのは歳の所為でしょうか?
それとたぶん今なにかの植物による今年さいごの花粉症がピークでそのために身体が異常にだるくてたまらないという状態なのです。
朝おきたときに登校拒否の小学生みたいに(こんなに身体がだるいのは熱があって病気だから今日は休みたい)と思っているほどです。
そんな怠い身体を引きずるように仕事にいってレッスンの直前までぐったりしているのに、いざコートにでてボールを打ち始めるとシャキーンとなれるのは長年の条件反射がなせる技でしょうか?
だから屋上で頭痛がして(やばいぞまさか脳梗塞とか脳血栓じゃないだろうな)なんてビビッていてもラリーを始めるとまったくそんなこと忘れます。
テニスってやはりちょっと打つだけでも脳内麻薬があふれ出してくるものなのだと思います。
この前まで肋骨にヒビが入っていたときも最初はとても痛いのですが、しばらくして打ち合いに夢中になりだすと激痛が鈍痛に変わります。
それで調子に乗って打ちまくってあとで血を吐く羽目になるのですから、テニスって素晴らしいなと思う半面すこし怖い気もします。
もし「テニスをしたら命がないから絶対にしてはいけません」と言われたとしても、「テニスをしないで余生を過ごすよりもテニスをしながらコートで死ねるならそれは本望だ!」なんて叫ぶかも知れない。
でもかつて可愛い子供の顔がみられなくなることを恐れて大好きだったオートバイを捨てたように、将来かわいい孫の顔をみられなくなるならテニスをやめるという日が来るのかも。
今日はそんなことを考えてしまうような屋上コートでの暑いレッスンでした。
この暑くなり始めた時がけっこう身体にとってきついもので、特に今日みたいに突然に赤道直下の国(ちょっと大袈裟?)へ来てしまったかのごとく暑いと軽い頭痛を感じてしまいます。
「今からこんな酷暑で真夏になったら一体どうなって仕舞うんだろ?」ってたぶん毎年のように思っていますが、徐々に身体が馴れていって本格的な夏頃にはすっかり暑さへの耐性が整ってどうということはなくなるはず。
しかし、果たして今年もそんな風に真夏までに熱帯育ちの熱血テニスコーチになれるかどうか一抹の不安を感じるのは歳の所為でしょうか?
それとたぶん今なにかの植物による今年さいごの花粉症がピークでそのために身体が異常にだるくてたまらないという状態なのです。
朝おきたときに登校拒否の小学生みたいに(こんなに身体がだるいのは熱があって病気だから今日は休みたい)と思っているほどです。
そんな怠い身体を引きずるように仕事にいってレッスンの直前までぐったりしているのに、いざコートにでてボールを打ち始めるとシャキーンとなれるのは長年の条件反射がなせる技でしょうか?
だから屋上で頭痛がして(やばいぞまさか脳梗塞とか脳血栓じゃないだろうな)なんてビビッていてもラリーを始めるとまったくそんなこと忘れます。
テニスってやはりちょっと打つだけでも脳内麻薬があふれ出してくるものなのだと思います。
この前まで肋骨にヒビが入っていたときも最初はとても痛いのですが、しばらくして打ち合いに夢中になりだすと激痛が鈍痛に変わります。
それで調子に乗って打ちまくってあとで血を吐く羽目になるのですから、テニスって素晴らしいなと思う半面すこし怖い気もします。
もし「テニスをしたら命がないから絶対にしてはいけません」と言われたとしても、「テニスをしないで余生を過ごすよりもテニスをしながらコートで死ねるならそれは本望だ!」なんて叫ぶかも知れない。
でもかつて可愛い子供の顔がみられなくなることを恐れて大好きだったオートバイを捨てたように、将来かわいい孫の顔をみられなくなるならテニスをやめるという日が来るのかも。