2010年12月06日
森に包まれた日々
昨日は屋上コートから遠くの富士山がうっすらと見えていました。
風が強く大気の汚れが吹き飛ばされているともっとくっきりと、まるですぐ近くにあるかのように見えるのですが昨日の富士はとても遠い所にある印象でした。
仲の良い友達が富士登山が趣味で年中いっているらしいです。
他の山には登らず必ず富士山だけへの登頂ハイキングであそこからの眺めが大好きなようです。
僕は子供の頃に8合目まで行ったことはありますが山頂には登ったことがありません。
さぞや気持ちの良い雄大な眺めなのだろうと思いますが、では行ってみようかという気持ちはどれほどかと言うと限りなくゼロに近いです。
景色の良いところ眺めの素晴らしい場所はもちちろん好きですが、それも見るための手間とのバランスというものを考えてあまりにも行くのに苦労するような所へはわざわざ行きません。
だから富士山の山頂もそういう理由で、友から何度も誘われていますがまず遠慮しています。
人にはそういう雄壮なパノラマ空間をこの上なく愛するタイプと、空間の拡がりよりも繁茂した木々に囲まれた鬱蒼とした森の奥深くに身を潜めることを好むタイプの二通りがあると思います。
僕はそのどちらかと言えば「森の人」タイプです。
こどもの頃、最も好きな遊びは「洞穴ごっこ」でした。
それは取り外しできるソファクッションを組み合わせて洞穴のようにして観葉植物を持ち込んだそのなかに入って懐中電灯で本やマンガを読むというものでした。
今はさすがに洞穴を作ってはいませんが、電話ボックスより少しだけ広い程度の書斎にこもって本を読んだりこうしてパソコンに向かっているのが至福のひとときであるのは変わりがありません。
もしかするとそうした閉鎖空間好きの延長でテニスコーチという仕事を選んだのかも知れません。
テニスコートという空間は一見すると広いようですが、そこを仕事場としていることはとても限られた外界との関わりを閉じている場所とも言えます。
身近な社会、もしくは世界で何が起きていようとテニスコートにそれが波及してくることは戦争が起きてミサイルが飛来してこない限りありません。
為替相場がいくらになろうと株式市場が大暴落しようと、国際社会が混沌として大国すらこの先の展望が危ぶまれていようとテニスコートは何事もなく静まりかえり僕はただすたすら「究極の一打」を追い求めるのみです。
僕にとってはテニスコートは優しく深い森のような存在で、そこが日々の活動拠点であるのは必然の帰結なのではないかと思えます。
風が強く大気の汚れが吹き飛ばされているともっとくっきりと、まるですぐ近くにあるかのように見えるのですが昨日の富士はとても遠い所にある印象でした。
仲の良い友達が富士登山が趣味で年中いっているらしいです。
他の山には登らず必ず富士山だけへの登頂ハイキングであそこからの眺めが大好きなようです。
僕は子供の頃に8合目まで行ったことはありますが山頂には登ったことがありません。
さぞや気持ちの良い雄大な眺めなのだろうと思いますが、では行ってみようかという気持ちはどれほどかと言うと限りなくゼロに近いです。
景色の良いところ眺めの素晴らしい場所はもちちろん好きですが、それも見るための手間とのバランスというものを考えてあまりにも行くのに苦労するような所へはわざわざ行きません。
だから富士山の山頂もそういう理由で、友から何度も誘われていますがまず遠慮しています。
人にはそういう雄壮なパノラマ空間をこの上なく愛するタイプと、空間の拡がりよりも繁茂した木々に囲まれた鬱蒼とした森の奥深くに身を潜めることを好むタイプの二通りがあると思います。
僕はそのどちらかと言えば「森の人」タイプです。
こどもの頃、最も好きな遊びは「洞穴ごっこ」でした。
それは取り外しできるソファクッションを組み合わせて洞穴のようにして観葉植物を持ち込んだそのなかに入って懐中電灯で本やマンガを読むというものでした。
今はさすがに洞穴を作ってはいませんが、電話ボックスより少しだけ広い程度の書斎にこもって本を読んだりこうしてパソコンに向かっているのが至福のひとときであるのは変わりがありません。
もしかするとそうした閉鎖空間好きの延長でテニスコーチという仕事を選んだのかも知れません。
テニスコートという空間は一見すると広いようですが、そこを仕事場としていることはとても限られた外界との関わりを閉じている場所とも言えます。
身近な社会、もしくは世界で何が起きていようとテニスコートにそれが波及してくることは戦争が起きてミサイルが飛来してこない限りありません。
為替相場がいくらになろうと株式市場が大暴落しようと、国際社会が混沌として大国すらこの先の展望が危ぶまれていようとテニスコートは何事もなく静まりかえり僕はただすたすら「究極の一打」を追い求めるのみです。
僕にとってはテニスコートは優しく深い森のような存在で、そこが日々の活動拠点であるのは必然の帰結なのではないかと思えます。