2012年10月31日
どこにも行かれず幸せ
今週は目黒テニススクールの平日クラスが秋休みです。
それでどこかに出かけようといろいろと調べたり計画してみたのですがなぜかどれも問題があって結局すべてNGでどこにもいかず仕舞いになってしまいました。
ところがその休みの間に母の様子が少しおかしいと同居している姉から連絡を受けて会いに行きました。
すると確かに以前はきちんと歩けていたのにフラフラしているし、車に乗り降りするのがとても大変そうにしていました。
でも具合が悪いともどこかが痛いとも言わず、食事は84歳とは思えない食べっぷりでどう考えても病気とは思えませんでした。
それでしばらく様子を見ておけば良いかなと考えてその日は家に帰りました。
でも夜になって寝るときに何だかとても気になってきて翌朝にまた出かけて近くのかかりつけの医師に診てもらいました。
すると「これはとても危険な状態ですぐに救急車で近くの脳外科のある病院に行くように!」と告げられ慌ててそこに向かいました。
そこで検査され「これは慢性硬膜下血腫がかなり進んで直ちに手術すべきで夕刻に手術室が空いたらすぐにおこないます!」と言われさらに「このお歳なので万が一のことを覚悟なさっていただけますか」とも伝えられて膝がガクガクしました。
夕方に手術が始まり(どうか助かって!)と祈るほかなく待ちました。
その甲斐あって無事に手術が終わりもうすぐに話せるようになって出てきた母はいきなり「お腹が空いたんだけど夕食はいつ出てくるの?」と訊ねてきたのには拍子抜けと安堵で涙がこみ上げてきちゃいました。
姉は小学校教師で滅多に休みなど取らない仕事熱心な人なので、もしもこの秋休みに僕が旅行に出かけてしまっていたら、あと数日で呼吸中枢が冒されて意識を失いそのままとなってしまう母を
誰も病院に連れていかなかったことでしょう。
出かける計画をことごとく潰してくださった神の采配に心から感謝したい気持ちです
それでどこかに出かけようといろいろと調べたり計画してみたのですがなぜかどれも問題があって結局すべてNGでどこにもいかず仕舞いになってしまいました。
ところがその休みの間に母の様子が少しおかしいと同居している姉から連絡を受けて会いに行きました。
すると確かに以前はきちんと歩けていたのにフラフラしているし、車に乗り降りするのがとても大変そうにしていました。
でも具合が悪いともどこかが痛いとも言わず、食事は84歳とは思えない食べっぷりでどう考えても病気とは思えませんでした。
それでしばらく様子を見ておけば良いかなと考えてその日は家に帰りました。
でも夜になって寝るときに何だかとても気になってきて翌朝にまた出かけて近くのかかりつけの医師に診てもらいました。
すると「これはとても危険な状態ですぐに救急車で近くの脳外科のある病院に行くように!」と告げられ慌ててそこに向かいました。
そこで検査され「これは慢性硬膜下血腫がかなり進んで直ちに手術すべきで夕刻に手術室が空いたらすぐにおこないます!」と言われさらに「このお歳なので万が一のことを覚悟なさっていただけますか」とも伝えられて膝がガクガクしました。
夕方に手術が始まり(どうか助かって!)と祈るほかなく待ちました。
その甲斐あって無事に手術が終わりもうすぐに話せるようになって出てきた母はいきなり「お腹が空いたんだけど夕食はいつ出てくるの?」と訊ねてきたのには拍子抜けと安堵で涙がこみ上げてきちゃいました。
姉は小学校教師で滅多に休みなど取らない仕事熱心な人なので、もしもこの秋休みに僕が旅行に出かけてしまっていたら、あと数日で呼吸中枢が冒されて意識を失いそのままとなってしまう母を
誰も病院に連れていかなかったことでしょう。
出かける計画をことごとく潰してくださった神の采配に心から感謝したい気持ちです