2010年08月02日
日焼けし過ぎて透明人間
夏のあいだに海やプールへ一度くらいは出かけようかと思いながら若いときほどそのモチベーションが上がらず、結局いちども行かず仕舞いになってしまいます。
子供の頃は葉山というところに叔母が住んでいて、毎年かならずそこに行って近くの海で朝から晩まで過ごしていました。
小学校の5年から中学2年頃までは夏休みの間は一人でずっとそこに寝泊まりして、昼間はずっと海で泳いでいたものでした。
叔母の家から海水パンツ一枚の出で立ちでビーチタオルと少年マガジンとかサンデーといったマンガ雑誌を持って森戸海岸というところへ行っていました。
朝10時頃からたっぷりと泳いで砂浜に戻るとマンガを読んで眠くなったら太陽をまともに全身に浴びながら昼寝する。
そんなことを毎日くり返していたので僕の身体は森戸海岸の海浜救助隊のお兄さん達よりも黒くて、砂浜に座っているとビリー・ザ・ブートキャンプみたいな米兵らしき人からワケのわからない英語で話しかけられたりしました。
そんな頃にテニスをしている写真があって、夏の暑い盛りとはいえあまり良くないことですがシャツを脱いで上半身はだかでやっていたようです。
しかしこの写真では僕はまるで透明人間みたいです。
茶色いクレーコートと黒っぽい建物を背景にして何人かで写されているのですが、僕は白いシューズとソックスにやはり真っ白な短パンを着用していてそれ以外の肌の部分が後ろにとけ込むほど日焼けしてよく見えないからです。
今では紫外線は有害だという認識が広まっていますからこれほど大胆かつバカげた日焼けをしている人はいないと思います。
あれっ、そうでもないな若いテニスコーチのなかには「紫外線の害?そんなの気にしませんよ」と昭和40年代の海辺の中学生並に真っ黒になっている連中がいました。
だから彼らもコートの離れたところからみるとテニスウェアーとシューズしか見えない透明人間みたいです。
今時あんなに日焼けしていたら、周りの人から(頭の中がいちばん透明なんじゃないの?)って言われちゃうよ
子供の頃は葉山というところに叔母が住んでいて、毎年かならずそこに行って近くの海で朝から晩まで過ごしていました。
小学校の5年から中学2年頃までは夏休みの間は一人でずっとそこに寝泊まりして、昼間はずっと海で泳いでいたものでした。
叔母の家から海水パンツ一枚の出で立ちでビーチタオルと少年マガジンとかサンデーといったマンガ雑誌を持って森戸海岸というところへ行っていました。
朝10時頃からたっぷりと泳いで砂浜に戻るとマンガを読んで眠くなったら太陽をまともに全身に浴びながら昼寝する。
そんなことを毎日くり返していたので僕の身体は森戸海岸の海浜救助隊のお兄さん達よりも黒くて、砂浜に座っているとビリー・ザ・ブートキャンプみたいな米兵らしき人からワケのわからない英語で話しかけられたりしました。
そんな頃にテニスをしている写真があって、夏の暑い盛りとはいえあまり良くないことですがシャツを脱いで上半身はだかでやっていたようです。
しかしこの写真では僕はまるで透明人間みたいです。
茶色いクレーコートと黒っぽい建物を背景にして何人かで写されているのですが、僕は白いシューズとソックスにやはり真っ白な短パンを着用していてそれ以外の肌の部分が後ろにとけ込むほど日焼けしてよく見えないからです。
今では紫外線は有害だという認識が広まっていますからこれほど大胆かつバカげた日焼けをしている人はいないと思います。
あれっ、そうでもないな若いテニスコーチのなかには「紫外線の害?そんなの気にしませんよ」と昭和40年代の海辺の中学生並に真っ黒になっている連中がいました。
だから彼らもコートの離れたところからみるとテニスウェアーとシューズしか見えない透明人間みたいです。
今時あんなに日焼けしていたら、周りの人から(頭の中がいちばん透明なんじゃないの?)って言われちゃうよ