2010年10月07日
赤い記憶
テニスクラブのフロント脇に何だかとても懐かしい赤いボール缶がおいてありました。
ダンロップフォート発売50周年記念の復刻4個入り缶だそうです。
そんな古いボール缶に見覚えがあるというのがちょっと複雑な気持ちですが、その頃によくテニスしていた父親が持っていたものを記憶しているのだと思います。
写真でもないかと探しましたが、テニスコートの審判台に姉と二人で並んで腰掛けている2歳8ヶ月頃のがあるだけでボール缶は残念ながら写されていませんでした。
どこのテニスコートなのかさすがにその歳の頃の記憶は残っていませんが、父のラケットで少しだけボールを打たせてもらったような思い出がかすかながらあります。
そのときに打ったボールがこの赤い缶に入ったダンロップフォートの白いボールだったのでしょう。
そう考えてみるとそのときからずっとテニスを始めたわけではなくきちんとやり出しのはずっと後のことですが、テニスコートで曲がりなりにもラケットをもってボールを打ったテニスデビューは2歳8ヶ月ということになります。
そうするとそれをテニス歴と数えてしまうと・・・、なんと48年でずいぶんとテニスとは長いつきあいになったものです。
その後に仕事人間になっていく父がテニスしていたその頃にしか僕はあまり一緒にいることがなくて、父の晩年にもたった一度だけテニスすることができたのがとても良い思い出になっています。
いろいろなことでテニスは僕を今まで支えてくれたり救ってくれて来ましたが、亡くなった父との数少ない楽しい思い出の場面がテニスだということが今こうしてテニスに携わる職業を選ぶきっかけになったように思えます。
そうしてみると、この赤いダンロップフォートの缶が僕のテニス人生の始まりを象徴する記念すべき存在かも知れません。
でも正直に言って、ダンロップフォートよりも僕の方が年上だったとは少しばかり、いやとてもショックです
ダンロップフォート発売50周年記念の復刻4個入り缶だそうです。
そんな古いボール缶に見覚えがあるというのがちょっと複雑な気持ちですが、その頃によくテニスしていた父親が持っていたものを記憶しているのだと思います。
写真でもないかと探しましたが、テニスコートの審判台に姉と二人で並んで腰掛けている2歳8ヶ月頃のがあるだけでボール缶は残念ながら写されていませんでした。
どこのテニスコートなのかさすがにその歳の頃の記憶は残っていませんが、父のラケットで少しだけボールを打たせてもらったような思い出がかすかながらあります。
そのときに打ったボールがこの赤い缶に入ったダンロップフォートの白いボールだったのでしょう。
そう考えてみるとそのときからずっとテニスを始めたわけではなくきちんとやり出しのはずっと後のことですが、テニスコートで曲がりなりにもラケットをもってボールを打ったテニスデビューは2歳8ヶ月ということになります。
そうするとそれをテニス歴と数えてしまうと・・・、なんと48年でずいぶんとテニスとは長いつきあいになったものです。
その後に仕事人間になっていく父がテニスしていたその頃にしか僕はあまり一緒にいることがなくて、父の晩年にもたった一度だけテニスすることができたのがとても良い思い出になっています。
いろいろなことでテニスは僕を今まで支えてくれたり救ってくれて来ましたが、亡くなった父との数少ない楽しい思い出の場面がテニスだということが今こうしてテニスに携わる職業を選ぶきっかけになったように思えます。
そうしてみると、この赤いダンロップフォートの缶が僕のテニス人生の始まりを象徴する記念すべき存在かも知れません。
でも正直に言って、ダンロップフォートよりも僕の方が年上だったとは少しばかり、いやとてもショックです