2012年01月04日
飽きない才能
こないだは夢の話でしたが、今日はもっと現実的で具体的な目標についてです。
テニスをしている皆さんがそれぞれ何か目標をもっていると思いますが、どうしたらそれを達成できるのか?
たとえば今年は絶対にバックハンドストロークの片手打ちスライスをマスターするというようなものだとします。
おそらくそのバックのシングルハンドスライスをマスターしたいと思ったきっかけがあるはずです。
フェデラーの華麗なあのフォームに憧れたかも知れないし、もっと身近な先輩とかコーチとかの打っている姿に魅了されたということもあるでしょう。
そうしたらまずその自分が興味をもったその人の打つバックハンドスライスをよく見て、いつでも目を瞑って想像したら頭のなかにその映像が現れるくらい焼き付けてしまいましょう。
その上でとにかくあとはひたすらバックハンドスライスを実際に打って打って打ちまくる!
壁打ちでもオートテニスでも公園で友達とミニラリーでも、もちろんコートできちんと打てるのに越したことはありませんがそうでなくてもとにかく暇があったら打って練習する。
そのときに必要なのは一打毎にどんなわずかな違いであっても見逃さずに感性を研ぎ澄ませて取り組むこと。
才能というのはそういう針の穴のような繊細な相違を感じ取ることを楽しむ能力であると最近は科学的にも確認されています。
もしも一球ずつでは無理だと言うならば二球、三球でも良いですからとにかく自分のパフォーマンスの変化をワインのソムリエのごとく味わいながら繰り返す。
そしてその変化を収斂してやがて最適な動きへと集約していけば目指すものに辿り着けるというわけです。
発明王エジソンは「天才とは99%の努力と1%の才能の結果である」と言い、まさにそれは真理ではないかと思います。
だから誰でも努力さえすれば天才に成れるのだ!と言うことかと勘違いしてしまいます
しかし、99%の単調かつ地味な努力を楽しめるのが天才の天才たる所以であり凡才は良くても50%の努力くらいが限界なものです。
それにもし何百球もボールを打ってもまったくその違いを感じ取れない、または違いはわかるけれどそれが良いのか悪いのかが皆目わからない。
だからいくら努力しても上達に結びつかないということは残念ながら往々にしてあることです。
端からみたらよくもあれだけ長時間にわたって同じことを面白そうに続けられるものだと感心される人のなかには実はもう一人別のその人をコーチングする存在があるのです。
今年のテニス上達を何か考えているならばまずこのセルフコーチングを勉強してみると良いかも知れません。
でもセルフコーチングをマスターする時間がなかったり、どうやっても上手くいかなかったら?
まるで問題ありません!そのために我々プロテニスコーチがいるわけですから。
ただ間違えて頂きたくないことは、我々コーチがしていることはセルフコーチングがまったく出来ない方の完全代理コーチではないと言うことです。
自分を向上させるのはテニスに限らず何事も同じですが、やはり自分自身の持つ能力とか意識とか考えです。
小難しい話でつまらなくなりそうなのでこれ以上はやめておきますが、要するにレベルアップを望むのならばそのジャンルで「違いのわかる男(女)」にならないといけないと言うことです。
「さっき打ったバックハンドスライスと今のはこういう風に変わっていた」というきわめて小さな喜びを楽しめるプレイヤーになれば来年の正月は「○○町のフェデラー」と呼ばれているかも知れませんよ
テニスをしている皆さんがそれぞれ何か目標をもっていると思いますが、どうしたらそれを達成できるのか?
たとえば今年は絶対にバックハンドストロークの片手打ちスライスをマスターするというようなものだとします。
おそらくそのバックのシングルハンドスライスをマスターしたいと思ったきっかけがあるはずです。
フェデラーの華麗なあのフォームに憧れたかも知れないし、もっと身近な先輩とかコーチとかの打っている姿に魅了されたということもあるでしょう。
そうしたらまずその自分が興味をもったその人の打つバックハンドスライスをよく見て、いつでも目を瞑って想像したら頭のなかにその映像が現れるくらい焼き付けてしまいましょう。
その上でとにかくあとはひたすらバックハンドスライスを実際に打って打って打ちまくる!
壁打ちでもオートテニスでも公園で友達とミニラリーでも、もちろんコートできちんと打てるのに越したことはありませんがそうでなくてもとにかく暇があったら打って練習する。
そのときに必要なのは一打毎にどんなわずかな違いであっても見逃さずに感性を研ぎ澄ませて取り組むこと。
才能というのはそういう針の穴のような繊細な相違を感じ取ることを楽しむ能力であると最近は科学的にも確認されています。
もしも一球ずつでは無理だと言うならば二球、三球でも良いですからとにかく自分のパフォーマンスの変化をワインのソムリエのごとく味わいながら繰り返す。
そしてその変化を収斂してやがて最適な動きへと集約していけば目指すものに辿り着けるというわけです。
発明王エジソンは「天才とは99%の努力と1%の才能の結果である」と言い、まさにそれは真理ではないかと思います。
だから誰でも努力さえすれば天才に成れるのだ!と言うことかと勘違いしてしまいます
しかし、99%の単調かつ地味な努力を楽しめるのが天才の天才たる所以であり凡才は良くても50%の努力くらいが限界なものです。
それにもし何百球もボールを打ってもまったくその違いを感じ取れない、または違いはわかるけれどそれが良いのか悪いのかが皆目わからない。
だからいくら努力しても上達に結びつかないということは残念ながら往々にしてあることです。
端からみたらよくもあれだけ長時間にわたって同じことを面白そうに続けられるものだと感心される人のなかには実はもう一人別のその人をコーチングする存在があるのです。
今年のテニス上達を何か考えているならばまずこのセルフコーチングを勉強してみると良いかも知れません。
でもセルフコーチングをマスターする時間がなかったり、どうやっても上手くいかなかったら?
まるで問題ありません!そのために我々プロテニスコーチがいるわけですから。
ただ間違えて頂きたくないことは、我々コーチがしていることはセルフコーチングがまったく出来ない方の完全代理コーチではないと言うことです。
自分を向上させるのはテニスに限らず何事も同じですが、やはり自分自身の持つ能力とか意識とか考えです。
小難しい話でつまらなくなりそうなのでこれ以上はやめておきますが、要するにレベルアップを望むのならばそのジャンルで「違いのわかる男(女)」にならないといけないと言うことです。
「さっき打ったバックハンドスライスと今のはこういう風に変わっていた」というきわめて小さな喜びを楽しめるプレイヤーになれば来年の正月は「○○町のフェデラー」と呼ばれているかも知れませんよ