2008年06月01日
墓荒らしブラザース
昨日とは打って変わってすごい良い天気の日曜日でした。
こんな気持ちの良い日にテニスが出来るなんて、仕事とはいえとても幸せだなと思います。
気持ちが良いのでボールを打つときにもつい調子に乗って、ハードヒットしたくなりますね。
でも腕の力だけで強く打とうとすると、不安定になるし肩を傷めたりすることもありますから要注意です。
体をうまく使って打てば良いボールが打てるし、部分的に負担がかかることもなくどこかを傷めたりはしないでしょう。
でも体を使って打てと言われてもどういう風に使うのかがわからない?
それにはやはり上手く打っている人のまねをするのが一番ですね。
テニスが上手になる人に概ね共通することは、みんな真似をするのが上手いということですね。
コーチが打って見せたことをよく見ていて、その通りにうまく真似て打てる人は実に上達が早いですが、その逆に「こんなに簡単なことを分解してゆっくりと何度も打って見せているのに、まったく違うことしているよ」という方はなかなか上達しません。
もちろん何千人か何万人に一人は天才がいて、その人が独自に身につけた打ち方で上手くなるということはあるのでしょうがそれは例外です。
たとえばボレーの打ち方を真似できる人と出来ない人の差はものすごく大きいです。
ボレーというのはシンプルな動きがベストですから、上手く打てない人はほとんどの場合は何かが出来ないのではなくて何か余計な事をしているから上手くいかないのです。
つまり足りないのではなく、余分なことをして失敗しているんです。
以前に比べるとラケットの反発力が格段に向上したので、その余分な動作はほんとに致命的です。
せっかく高いラケットを買ったのだから、そのラケットにもっとボールを飛ばさせれば良いのに、未だにラケットを強く振らないとボールが飛ばないと思っているのか、それとも強く振らないと気が済まないのかとにかく振り回し過ぎ。
今日も中学生の元気な男に、振らないでボレーしろと言っているのにわかってくれない。
よし、それなら少し速くて強いボールを打たせたら少しはコンパクトな構えでラケット面を合わせるようになるかも知れないと思い試してみました。
すると始めはまだ振り回していたのが、何度か間に合わない事にようやく気づいて構えが小さくなってコンパクトに当てるようになりました。
「よーし、やっとボレーのコツが少しわかったようだな」と少し満足して、次にまた元に戻してすこし緩いボールを送ると・・・、パッカーンという怪音?を響かせて真っ青な空に向かって黄色いボールが遙か彼方に飛んでいきました。
隣にはお寺の墓所があり、今日はご住職がお経をあげていらしてその周りには喪服の一団が数十名ほど神妙なご様子で黙祷を捧げています。
もう少しでその厳かなセレモニーのど真ん中に黄色い飛行物体が飛び込むところでした。
フェンス越しに僕は平謝りです、打った本人はそんなあわや大惨事はどこ吹く風で、一生懸命ボレーのシャドースィング
しています。
でもその振り方がまたこれでもかというほどバカでかいスィングで、しかも渾身の力を込めています
「あの調子じゃ次は住職に直撃するよ、勘弁してくれよ」とぼやきながら、練習を続けました。
すると次にボールを墓場に打ち込んだのは、その子のお兄ちゃんでした、でもそのときにはもう墓には誰もいなくて事なきを得ました。
その兄弟はとても良い子たちで一生懸命に練習しているので、悪気はまったくないことは確かなのですが、毎週この日曜日の昼前レッスンはちょっと憂鬱になりそうです。
こんな気持ちの良い日にテニスが出来るなんて、仕事とはいえとても幸せだなと思います。
気持ちが良いのでボールを打つときにもつい調子に乗って、ハードヒットしたくなりますね。
でも腕の力だけで強く打とうとすると、不安定になるし肩を傷めたりすることもありますから要注意です。
体をうまく使って打てば良いボールが打てるし、部分的に負担がかかることもなくどこかを傷めたりはしないでしょう。
でも体を使って打てと言われてもどういう風に使うのかがわからない?
それにはやはり上手く打っている人のまねをするのが一番ですね。
テニスが上手になる人に概ね共通することは、みんな真似をするのが上手いということですね。
コーチが打って見せたことをよく見ていて、その通りにうまく真似て打てる人は実に上達が早いですが、その逆に「こんなに簡単なことを分解してゆっくりと何度も打って見せているのに、まったく違うことしているよ」という方はなかなか上達しません。
もちろん何千人か何万人に一人は天才がいて、その人が独自に身につけた打ち方で上手くなるということはあるのでしょうがそれは例外です。
たとえばボレーの打ち方を真似できる人と出来ない人の差はものすごく大きいです。
ボレーというのはシンプルな動きがベストですから、上手く打てない人はほとんどの場合は何かが出来ないのではなくて何か余計な事をしているから上手くいかないのです。
つまり足りないのではなく、余分なことをして失敗しているんです。
以前に比べるとラケットの反発力が格段に向上したので、その余分な動作はほんとに致命的です。
せっかく高いラケットを買ったのだから、そのラケットにもっとボールを飛ばさせれば良いのに、未だにラケットを強く振らないとボールが飛ばないと思っているのか、それとも強く振らないと気が済まないのかとにかく振り回し過ぎ。
今日も中学生の元気な男に、振らないでボレーしろと言っているのにわかってくれない。
よし、それなら少し速くて強いボールを打たせたら少しはコンパクトな構えでラケット面を合わせるようになるかも知れないと思い試してみました。
すると始めはまだ振り回していたのが、何度か間に合わない事にようやく気づいて構えが小さくなってコンパクトに当てるようになりました。
「よーし、やっとボレーのコツが少しわかったようだな」と少し満足して、次にまた元に戻してすこし緩いボールを送ると・・・、パッカーンという怪音?を響かせて真っ青な空に向かって黄色いボールが遙か彼方に飛んでいきました。
隣にはお寺の墓所があり、今日はご住職がお経をあげていらしてその周りには喪服の一団が数十名ほど神妙なご様子で黙祷を捧げています。
もう少しでその厳かなセレモニーのど真ん中に黄色い飛行物体が飛び込むところでした。
フェンス越しに僕は平謝りです、打った本人はそんなあわや大惨事はどこ吹く風で、一生懸命ボレーのシャドースィング
しています。
でもその振り方がまたこれでもかというほどバカでかいスィングで、しかも渾身の力を込めています
「あの調子じゃ次は住職に直撃するよ、勘弁してくれよ」とぼやきながら、練習を続けました。
すると次にボールを墓場に打ち込んだのは、その子のお兄ちゃんでした、でもそのときにはもう墓には誰もいなくて事なきを得ました。
その兄弟はとても良い子たちで一生懸命に練習しているので、悪気はまったくないことは確かなのですが、毎週この日曜日の昼前レッスンはちょっと憂鬱になりそうです。
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