2010年10月16日
思索の審判椅子
今日の午後は世田谷の総合運動場というとても広い運動公園の一画にあるテニスコートでレッスンしました。
そこは多摩川を見下ろす丘の上にあり、コートのベンチに座って西の方角を眺めると樹木以外に空を遮るものが一切ない23区内とは思えないリゾートのようなテニスコートです。
そこで今日のような天気の良い午後にテニスしていると実にのどかな心持ちになります。
そのせいか時間までもゆっくりと流れている気がして、休憩中に腕時計を見るたびに(あれっまだこんな時間か、まだたっぷり練習できる・・・っていうか、しなきゃならない)と思うのでした。
身体が疲れているのも手伝ってそんな風に感じるのかも知れませんが、午前中にレッスンしていたときとはまるで逆の感覚です。
朝から昼にかけてのレッスン中はいつも(あぁまだやりたいことがあったのに時間がないよ~)と思うほど時間が過ぎるのがとても早く思えます。
それが午後になると体感的に2割か3割くらい遅くなります。
これは「元気だと時間は早く感じて疲れると遅く思えるようになる」というアインシュタインの相対性理論以来の大発見かも知れません!
しかし、時間は絶対ではなく確かに相対的なものであるなと言うことは何となくわかってきました。
なんてことをレッスンの終わりのゲーム中に僕は審判台の椅子に腰掛けながら考えていました。
そしてゆっくりと過ぎ去るのどかな時間についての考察はやがて僕を異次元世界へと誘い始めました。
「ハッ」と気づくと危うく地上2メートルくらいある審判台から居眠りしてずり落ちる寸前で、かろうじて踏みとどまりました。
心臓がバクバクしてすっかり眼が覚めましたが、これほんとに落ちていたら恐らく救急車を要請する羽目になったのは明白です。
「ベテランテニスコーチがレッスン中に居眠りして審判席から落下して大怪我」なんて聞いたことないですよね。
あぁ、ほんとに落ちなくて良かったです
そこは多摩川を見下ろす丘の上にあり、コートのベンチに座って西の方角を眺めると樹木以外に空を遮るものが一切ない23区内とは思えないリゾートのようなテニスコートです。
そこで今日のような天気の良い午後にテニスしていると実にのどかな心持ちになります。
そのせいか時間までもゆっくりと流れている気がして、休憩中に腕時計を見るたびに(あれっまだこんな時間か、まだたっぷり練習できる・・・っていうか、しなきゃならない)と思うのでした。
身体が疲れているのも手伝ってそんな風に感じるのかも知れませんが、午前中にレッスンしていたときとはまるで逆の感覚です。
朝から昼にかけてのレッスン中はいつも(あぁまだやりたいことがあったのに時間がないよ~)と思うほど時間が過ぎるのがとても早く思えます。
それが午後になると体感的に2割か3割くらい遅くなります。
これは「元気だと時間は早く感じて疲れると遅く思えるようになる」というアインシュタインの相対性理論以来の大発見かも知れません!
しかし、時間は絶対ではなく確かに相対的なものであるなと言うことは何となくわかってきました。
なんてことをレッスンの終わりのゲーム中に僕は審判台の椅子に腰掛けながら考えていました。
そしてゆっくりと過ぎ去るのどかな時間についての考察はやがて僕を異次元世界へと誘い始めました。
「ハッ」と気づくと危うく地上2メートルくらいある審判台から居眠りしてずり落ちる寸前で、かろうじて踏みとどまりました。
心臓がバクバクしてすっかり眼が覚めましたが、これほんとに落ちていたら恐らく救急車を要請する羽目になったのは明白です。
「ベテランテニスコーチがレッスン中に居眠りして審判席から落下して大怪我」なんて聞いたことないですよね。
あぁ、ほんとに落ちなくて良かったです
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