2010年07月09日
プロの中のプロ、ごくプロ
昨日は不良高校生がテニスしている話?をしましたが、それで思い出したことがあります。
それは最初に勤めていたテニススクールをやめて別のテニススクールに変わるときの20年前くらいの話です。
知り合いを通して良いテニススクールがあってそこでコーチが足りなくて困っているから話を聞きにいかないかと誘われて出かけていきました。
その最初にいたスクールは良い仲間がたくさんいて楽しかったのですが、その頃すでに僕には子供が生まれていて経済的にはかなり不安な面がありました。
それで思い切って待遇を良くしてくれるという甘言につられていったのでした。
テニスクラブで面接を終えてから、その面接したスクール責任者と別のコーチたちとダブルスを一緒にやろうということになりました。
一人はその時の僕と同じ歳くらいのコーチだと思いましたが後で歳を聞くと5歳も若くて驚きました。
そしてもう一人の方は「彼は少し前までトーナメントで活躍していたプロなんだ」と紹介されました。
このスクールには本物のプロ選手がいるんだと少し驚きながら挨拶しましたが、かなり色の濃い非合法組織の人たちがよくかけている金属製のメガネをされたそのプロは完全にその筋の人でした。
(あれっ、テニスのプロって言ったけどどうみてももっと長い棒でボールを叩くあっち系のプロにみえるな)と思いましたが確かめはしませんでした。
確かめなくてもその後にテニスコートでダブルスをやったら、その方が正真正銘ほんもののプロテニスプレイヤーであることを思い知りました。
見かけは今でいうなら寺島進みたいでしたが、そのプレイは華麗で正確で豪快!と紛う事なきプロの中のプロでした。
そのプロのいるスクールで一緒に働かせていただけるならと僕は二つ返事でそこへの転職を決意しました。
その後の約10年間、ラケットよりも白鞘の日本刀が似合いそうなその類い希な天才テニスプレーヤーと共にテニススクールで働かせていただきとても勉強になりました。
今もなんとか僕がテニスコーチとして曲がりなりにもやっていられるのはその「ごくプロ師匠」のおかげだと思っています
それは最初に勤めていたテニススクールをやめて別のテニススクールに変わるときの20年前くらいの話です。
知り合いを通して良いテニススクールがあってそこでコーチが足りなくて困っているから話を聞きにいかないかと誘われて出かけていきました。
その最初にいたスクールは良い仲間がたくさんいて楽しかったのですが、その頃すでに僕には子供が生まれていて経済的にはかなり不安な面がありました。
それで思い切って待遇を良くしてくれるという甘言につられていったのでした。
テニスクラブで面接を終えてから、その面接したスクール責任者と別のコーチたちとダブルスを一緒にやろうということになりました。
一人はその時の僕と同じ歳くらいのコーチだと思いましたが後で歳を聞くと5歳も若くて驚きました。
そしてもう一人の方は「彼は少し前までトーナメントで活躍していたプロなんだ」と紹介されました。
このスクールには本物のプロ選手がいるんだと少し驚きながら挨拶しましたが、かなり色の濃い非合法組織の人たちがよくかけている金属製のメガネをされたそのプロは完全にその筋の人でした。
(あれっ、テニスのプロって言ったけどどうみてももっと長い棒でボールを叩くあっち系のプロにみえるな)と思いましたが確かめはしませんでした。
確かめなくてもその後にテニスコートでダブルスをやったら、その方が正真正銘ほんもののプロテニスプレイヤーであることを思い知りました。
見かけは今でいうなら寺島進みたいでしたが、そのプレイは華麗で正確で豪快!と紛う事なきプロの中のプロでした。
そのプロのいるスクールで一緒に働かせていただけるならと僕は二つ返事でそこへの転職を決意しました。
その後の約10年間、ラケットよりも白鞘の日本刀が似合いそうなその類い希な天才テニスプレーヤーと共にテニススクールで働かせていただきとても勉強になりました。
今もなんとか僕がテニスコーチとして曲がりなりにもやっていられるのはその「ごくプロ師匠」のおかげだと思っています